2014年2月12日 中日新聞【社説】
日本は世界一の長寿国になった。高齢化社会では病を「治す」医療だけでは長い人生を支えきれない。医療の役割は大きな転換期にあるようだ。
「食べさせないから死ぬんじゃない。死を迎えるから食べないんです」
あるシンポジウムで、特別養護老人ホームの高齢者を見守るベテラン医師・石飛幸三さんはこう訴えた。医師の思いと患者の実態とのズレを現場で実感したからだ。
現代の医療は病を治し、延命することを使命としている。食事がうまくできないのなら胃ろうで栄養を取り延命を目指す。
胃ろう拒否した夫婦
リハビリで回復が見込める場合など胃ろうが必要なケースはあるが、その医療は本当に本人の望むものだろうか。こんな疑問が医療や介護の現場で広がっている。
石飛医師はある夫婦の決断を紹介した。介護施設に入る妻に胃ろうを迫られた夫は拒否した。それが妻のためになると思えなかったのだ。夫は職員と一緒に毎日、食事介助を続け一年半の貴重な時間を共有した。
最期は眠り続け一週間後に息を引き取った。かつて病院で延命治療に取り組んでいた石飛医師が驚いたのは、延命治療を施していないのに最期まで呼吸が苦しくならず尿も出たこと。
「最後の代謝で体中を整理して身を軽くして天に昇っていった」
穏やかな最期だった。
「死なせない」医療は多くの命を救ってきた。それにかかわる人たちの共通の思いだろう。今後はそれに加えて「安らかな最期」を迎えられることも望まれている。それは本人が望むよう生きること自体を支える医療ともなる。
二十世紀の日本の医療は結核などの感染症対策から始まった。全国に保健所が整備され公衆衛生に力点が置かれた。「守る」医療だ。
最初の役割の転換点は二十世紀半ばだ。脳卒中やがん、心臓病などの慢性疾患が死因トップになると医療設備と人材を集約して対応する病院の整備が進んだ。「治す」医療が進歩した。
医療の量が確保され、どこの医療機関にもかかれるようになった。国民皆保険が国民に行き渡りそれを支えている。
患者の生活の質重視
高齢化が進む今は次の転換期を迎えているといわれる。病を治す病院の役割は依然重要だが、徐々に体の機能が低下する高齢者には生活の質(QOL)を「支える」ことこそが大切になる。それには在宅医療が不可欠だ。
政府の社会保障制度改革国民会議が昨年まとめた報告書では、今後の医療について二つの構造改革が示されている。
まず、手術などの治療で病やけがを治す急性期の医療や、治療を終え社会復帰へリハビリを担う医療など病院ごとの役割分担を明確にし、同時に在宅医療も充実させていこうとする改革だ。
二つ目はこうした医療機関の再編を都道府県が担うことだ。政府は約九百億円の補助制度を二〇一四年度に新設し、地域のニーズに合った医療体制を整える。
社会保障にも地方分権を進め効率的な医療の提供を図る発想は確かに必要だろう。
政府が二年に一度見直す医療の価格(診療報酬)も在宅医療の充実が図られそうだ。一四年度からの改定内容が十二日に決まる。
医療保険の保険料や税、患者負担から支払われる医療費をどの治療や投薬に配分するかを決める。今改定では在宅医療を担う医療機関や人材を増やす方向である。
二五年に団塊世代が七十五歳を超える。増える高齢者に医療を提供し、充実した老後を過ごしてもらうには今後も在宅医療の充実に努めるべきだろう。
患者を在宅に移せば病院の医療費は減る。その分を在宅医療に回せるよう、自治体は病院再編を確実に進める必要がある。そのために新設される補助金である。医療機関へのバラマキで終わらないよう監視すべきだ。
海外に比べ国民医療費は少ないのに手厚い医療を受けられるのが日本の医療の良さだ。改革はその維持が前提でなければならない。
人生そのものを診る
医療が患者の伴走者となるには病だけでなく人生そのものを息長く診る覚悟が要る。処方箋は一つではない。その人に合った多様な医療を提供する技量が要る。介護との連携も不可欠である。医師の再教育など人材育成が課題だ。
患者は軽い症状でも高度医療を行う大病院を受診しがちだ。しかし、不必要な受診を控えるなど患者にも自覚が求められる。医師も患者も互いに顔の見える関係をつくる。どんな人生を送りたいか、それを実現する医療は何か話し合う。人生をともに歩む医療はそこから始まるはずだ。