2012年3月11日日曜日

初フル無事ゴール

一月の始めに血液検査をしたときには、赤血球が基準値よりも若干少なかったけど、一週間前の血液検査では基準値まで復活していて一安心。
カーボローディング


何を持って走ろうかな~

当日の朝ごはん
念のために前日夜に病院で処方されている便秘薬を飲んだおかげもあって、無事に6時15分に済ませることが出来た。10キロやハーフと違って近場での開催なのでウチで済ませておきたかったので一安心。
家を出る
ドームに向かう人波
最寄り駅を7時6分発の電車に乗ってナゴヤドーム前矢田駅に7時35分頃着、ドーム入り口横でビニール袋にリュック等を詰めて入場、8時15分に荷物預け、8時30分にトイレを済ませ、スタート地点に移動途中でスポーツドリンクを少し飲み栄養補給粉末を2本もらってウェストポーチに入れ、8時45分にスタート場所に移動した。あまりにギリギリだったのでもう少し余裕を見込むべきだったし、スタート前にストレッチした方が走りやすかっただろうから、もう一本前の電車の7時11分名古屋ドーム前矢田駅着で行ったほうが良かったな。あと、荷物(リュック)を最初から預け用のビニール袋に入れておけば良かった。

震災の日なので一分間の黙祷を捧げ、その後スタートの号砲は9時10分に鳴り響いたけど、最後尾グループの私がスタートゲートまでたどり着いたのは9時20分くらい。最初は混みこみなのでほぼ歩いた。スタートしてすぐの仮設トイレ、その後の3店舗くらいのコンビニにも行列が出来ていて驚いた。私より時間に余裕がなくて、トイレをスタート前に済ませられなかった人たちなのだろう。

色々なポーチやウェアを見ることができて参考になった。

ウェストポーチは走っていると上下したりずれたりしていたので難しいな~と感じた。ポーチを若干腰よりに付けているせいかランスカがめくれ上がっている人も見た。そういう人に限ってすっごくお洒落なウェアを着ているので、余計に残念な感じになっていた。ベスト型のポーチを着ている人もいたけど、こちらはエネルギージェルのような重めのモノが入っていても安定していた。ちょっと良さそうだなと思ったのが、アームバンドで栄養補給ジェル・ザバスを右腕にまいていた方法で、安定しているし負担も少ないしすぐに飲めそうだった。

ゼッケンが透ける透明ゴミ袋をスタートまでの防寒に使うと良いとネットで読んでいたけど、そういう方法をとっている人を本当に何人か見たので、こういう方法もありなんだと思った。あと、ウィンドブレーカーを着ている人など後ろ側にゼッケンを付けている人が何人かいた。大会要綱には一番上のウェアに付けるとだけあったのでOKなのだろうが、ゼッケンが写らないから写真サービスが受けられないのを知っているのかちょっと気になった。

私程度の走力の周りだと、友人と並走しておしゃべりしているランナーが思った以上にいた。盲目ランナーが伴走者と短い輪っかを手に握って走っていた。ドアラ、バニー、スーツ姿などの仮装ランナー、チームTシャツを着ているランナー、ホノルルなど過去に走ったマラソン大会のフィニッシャーTシャツを着ているランナー、などなど。キャップの後ろバンドにスカーフを結んでいる人がいて、それがとっても可愛かったので、4月のハーフで私もやってみようかな~と思った。

晴天にめぐまれ気温も10度前後で風もそんなに無かった。ただ終盤に曇ってきてほんの少しパラッを雨が降って風を感じた。色々と迷った今日のウェアだけど、機能的・見た目的・走る意味合い的に私にとってはこれで正解だった。花粉も気になったので、家を出る直前に1枚、4時間以上置いたお昼頃に1枚内服したので、目も鼻も大丈夫だった(飲まなくても大丈夫だったかもしれないけどね)。

途中で2回、トップ集団とすれ違ったので思わず観に駆け寄って応援してしまった。走者でもあるけど一観客でもある激遅ランナーの私たち(笑。家に帰り録画を見て、私が見た前後にこんなに凄いレースが展開されていたんだと知って、ビックリというか感動したというか何だか感慨深かった。

給水や給食はしっかり摂るように心がけた。スポーツドリンクは口に甘味が残るので、水も結構とった。バナナ、きのこの山、あんぱん、マロンういろう、どれも美味しかったし食べると元気になった。塩飴は携帯していたので取らなかったし、携帯していた黒糖飴と塩飴も結局は食べなかった。スニッカーズはハーフ地点の白川公園トイレの待ち時間に食べて、スタート前にもらった栄養補給粉末も給水所で水と一緒に摂った。

ハーフ地点でトイレに行ったあと、途端にタイムが悪くなった。トレーニング不足ということもあるけど、トイレ待ちで休んだため筋肉が硬くなってしまい足が前に出なくなった。37キロ地点で歩くこともしんどくてとうとう立ち止まってストレッチをしたら、途端に足が前に出るようになってビックリした。周りはバテバテで歩いていた(私もその1人だった)ので、その後は走れるようになった私は残り5キロでゴボウ抜きした(笑)。今思えば、ハーフを超えたあたりからストレッチする人たちが目立ってきたのは、筋肉をほぐせば走れるようになるからその方が走り続ける(歩き続ける)より得策だと知っている人たちだったのかもしれない。

思ったより周りの景色にも目がいった。中でも後半に差し掛かったときに見える名古屋城は、知っている景色なのに「おお~」なんて思った。その後、下り坂と上り坂があってず~っと先までカラフルな色で埋め尽くされている様子が見えて圧巻だった。でもその後は脚が痛くて前に出ないし、距離表示プレートや給水・給食プレートばかりに目が行き、あと残りXキロ、まだ行ける、頑張れ、大丈夫完走できる、といった応援がとっても励みになった。

黙祷をドーム内で捧げるという目標も、完走するという目標も果たせずに、最低でもゴールをという目標だけ達成できた。そういった意味では色々と残念な結果に終わったけど、抗がん剤の最終クールが終わって3ヶ月ちょっとの12月11日に初10キロ、放射線治療が終わって数日後の1月22日に初ハーフ、そしてホルモン治療開始から 3ヶ月たった3月11日にフルマラソン、その全てでリタイアすることなくゴール出来たのは我ながら頑張ったと思う。

ゴールして色々を受け取り、手荷物を引き取り携帯電話を見るとメールが。公式HPで5キロごとのタイムをアップしているので、それをチェックしたごとにメールしてくれていたのだ。その応援が嬉しかった。
ドームから帰る人波
帰りの地下鉄の中で気持ちが悪くなってしまった。事前に心配していた通りだったのだから、もう少しドームで休憩して給水・給食をしっかりとって、ストレッチもして、エアサロンパスのようなものでケアして、靴ヒモも緩めれば良かった。行きはランスカで行って、帰りはシャカシャカパンツにクロックスという格好もありだと感じた。あと、電車も逆周りだったら座れたかもしれない。この辺は、最初から不安があったのだから、もう少し事前対策を練れば良かった。

無事家に帰って一息ついてシャワー。バセリンをスポーツブラで擦れそうな場所に塗っていたおかげもあって左がちょっと赤くなる程度で済んだ。防風・寒対策でお腹や手に塗ったのも効果あったのかもしれない。
SHEだけ色が変えてある♪
ウィメンズマラソンならではのフィニッシャーTシャツ
GO WOMEN

“ GO WOMEN ”
裏には2012とティファニーの刻印
私はティファニー・ランナーと揶揄されちゃう程度の残念な走力しか無かったけど、大会当日までトレーニングを計画したり、食事・睡眠・体内リズムを気をつけたり、ウェア等を準備したり、タイムスケジュールを練ったり、ネットで情報収集したり、そんなこんなでとても楽しく、乳がん治療中の鬱々とした気持ちを吹き飛ばしてくれた。そして実際に体験することによって色々と客観視することが出来たので、今後の新たな課題がはっきりした。がん予防のためだけじゃなくて、趣味として楽しみながら続けられそうだ。

震災から一年、乳がんのしこりに気が付いてから約一年、良い記念になった。