2014年2月28日金曜日

めまい?

一昨日の夜、立つと頭がクラクラして視界が揺れて定まらなかった。早々にベッドに入って目を閉じたが、なかなか寝付けなく目を開けて天井を見るとやはり左右に視界が揺れて気持ちが悪い・・・、そんなこんなを繰り返しながらいつの間にか眠りにつき、朝目が覚めた時には治っていた。その後はずっと通常に戻っているが、いったいなんだったのだろうか。
医師1067人に聞いた「お気に入りの抗ヒスタミン薬」
花粉症医師の8割が抗ヒスタミン薬を服用
一番人気はアレグラ、続いてザイザル、アレロック

2014/2/28

日本人に占める花粉症患者の割合は、3割にも上ると言われている。だとすれば、医師の中にも毎年花粉症に悩んでいる人が少なくないはず。そこで今回は、「医師は自分自身の花粉症の治療のために、どんな薬をチョイスをしているのか」をテーマに、ミニアンケートを実施してみた。

2014年2月24日月曜日

マンモの乳がん検診は効果なしという論文が出た

2014年2月24日

イギリスの医学雑誌BMJ誌に、マンモグラフィーによる乳がん検診は通常の視触診やケアと比較して乳がんによる死亡を減らす効果がなかったとする論文が掲載されました(Miller AB et al., Twenty five year follow-up for breast cancer incidence and mortality of the Canadian National Breast Screening Study: randomised screening trial., BMJ., 348:g366
(2014) )。

対象はカナダの40歳から59歳までの女性約9万人で、25年間追跡調査されました。数も期間も十分であるようです。ランダム化もされており質の高い研究と言えます。25年間の追跡調査期間中、マンモグラフィー群4万4925人のうち乳がんによる死亡は500人でした。一方で、対照群では4万4910人中505人でした。ほとんど差がありません。

これまでの同様の調査の主な結果は、「乳がん検診は乳がん死亡を減らす」というものでした。40歳代の女性については過剰診断による害が無視できないとして議論があるものの、50歳以上の女性については国際的にも乳がん検診が推奨されています。今回のカナダの報告では、40歳から49歳までの集団と、50歳から59歳までの集団での結果はほとんど同じであったとありますから、50歳代の女性に限ってもマンモグラフィーによる乳がん検診は乳がんによる死亡を減らさなかったわけです。

このように研究によって結果がまちまちになることは、医学の世界ではよくあります。研究方法や対象が異なるからです。今回のカナダでの研究と、これまでの研究はどこが違うのでしょうか。

マンモグラフィーの技術に問題があった、という可能性はどうでしょうか。マンモグラフィーとは乳房をX線で撮影する検査です。検査そのものの手技や、レントゲンフィルムに映った早期の乳がんを見落とさないためには技術が必要です。ただ、カナダのマンモグラフィーの技術が劣ると積極的に考える理由はないように思います。

対照群の受けた処置も影響しているかもしれません。この研究が開始された1980年の時点ですでに50歳から65歳までの女性に対する乳がん検診の利益が報告されており、対照群を完全に放置することは倫理的に問題がありました。そのため50歳代の対照群の女性は通常の胸部診察(視触診)を受けました。対照群に何の検査もしないよりはマンモグラフィー群との差が出にくくなります。

これまでとの研究との違いの理由として、著者らが示唆しているのは、補助療法の有無です。具体的には再発目的で施行される手術後の抗がん剤治療のことです。進行がんの治療法が進歩すると、がん検診の効果は小さくなります。

仮の話として、進行したがんでも完全に治してしまう治療法が開発されれば、わざわざ検診でがんを早期発見しなくても、進行して症状が出てから治療すればいいわけです。もちろん現実には進行したがんはやっぱり治りにくいのですが、最近の乳がんの化学療法の進歩は乳がん検診の効果を相対的に小さくする方向に働きます。

カナダの研究はすでに激しい議論を巻き起こしています。大事なのは、早期発見が常に良いとは限らず、検診の対象者や検査の質や治療法によって、がん検診の有効性は変わりうるということです。日本において検診の有効性はどうなのか、検証が必要です。

2014年2月12日水曜日

「治す」から「支える」へ 変わる医療の役割

2014年2月12日 中日新聞【社説】
 日本は世界一の長寿国になった。高齢化社会では病を「治す」医療だけでは長い人生を支えきれない。医療の役割は大きな転換期にあるようだ。
 「食べさせないから死ぬんじゃない。死を迎えるから食べないんです」
 あるシンポジウムで、特別養護老人ホームの高齢者を見守るベテラン医師・石飛幸三さんはこう訴えた。医師の思いと患者の実態とのズレを現場で実感したからだ。
 現代の医療は病を治し、延命することを使命としている。食事がうまくできないのなら胃ろうで栄養を取り延命を目指す。

胃ろう拒否した夫婦

 リハビリで回復が見込める場合など胃ろうが必要なケースはあるが、その医療は本当に本人の望むものだろうか。こんな疑問が医療や介護の現場で広がっている。
 石飛医師はある夫婦の決断を紹介した。介護施設に入る妻に胃ろうを迫られた夫は拒否した。それが妻のためになると思えなかったのだ。夫は職員と一緒に毎日、食事介助を続け一年半の貴重な時間を共有した。
 最期は眠り続け一週間後に息を引き取った。かつて病院で延命治療に取り組んでいた石飛医師が驚いたのは、延命治療を施していないのに最期まで呼吸が苦しくならず尿も出たこと。
 「最後の代謝で体中を整理して身を軽くして天に昇っていった」
 穏やかな最期だった。
 「死なせない」医療は多くの命を救ってきた。それにかかわる人たちの共通の思いだろう。今後はそれに加えて「安らかな最期」を迎えられることも望まれている。それは本人が望むよう生きること自体を支える医療ともなる。
 二十世紀の日本の医療は結核などの感染症対策から始まった。全国に保健所が整備され公衆衛生に力点が置かれた。「守る」医療だ。
 最初の役割の転換点は二十世紀半ばだ。脳卒中やがん、心臓病などの慢性疾患が死因トップになると医療設備と人材を集約して対応する病院の整備が進んだ。「治す」医療が進歩した。
 医療の量が確保され、どこの医療機関にもかかれるようになった。国民皆保険が国民に行き渡りそれを支えている。

患者の生活の質重視

 高齢化が進む今は次の転換期を迎えているといわれる。病を治す病院の役割は依然重要だが、徐々に体の機能が低下する高齢者には生活の質(QOL)を「支える」ことこそが大切になる。それには在宅医療が不可欠だ。
 政府の社会保障制度改革国民会議が昨年まとめた報告書では、今後の医療について二つの構造改革が示されている。
 まず、手術などの治療で病やけがを治す急性期の医療や、治療を終え社会復帰へリハビリを担う医療など病院ごとの役割分担を明確にし、同時に在宅医療も充実させていこうとする改革だ。
 二つ目はこうした医療機関の再編を都道府県が担うことだ。政府は約九百億円の補助制度を二〇一四年度に新設し、地域のニーズに合った医療体制を整える。
 社会保障にも地方分権を進め効率的な医療の提供を図る発想は確かに必要だろう。
 政府が二年に一度見直す医療の価格(診療報酬)も在宅医療の充実が図られそうだ。一四年度からの改定内容が十二日に決まる。
 医療保険の保険料や税、患者負担から支払われる医療費をどの治療や投薬に配分するかを決める。今改定では在宅医療を担う医療機関や人材を増やす方向である。
 二五年に団塊世代が七十五歳を超える。増える高齢者に医療を提供し、充実した老後を過ごしてもらうには今後も在宅医療の充実に努めるべきだろう。
 患者を在宅に移せば病院の医療費は減る。その分を在宅医療に回せるよう、自治体は病院再編を確実に進める必要がある。そのために新設される補助金である。医療機関へのバラマキで終わらないよう監視すべきだ。
 海外に比べ国民医療費は少ないのに手厚い医療を受けられるのが日本の医療の良さだ。改革はその維持が前提でなければならない。

人生そのものを診る

 医療が患者の伴走者となるには病だけでなく人生そのものを息長く診る覚悟が要る。処方箋は一つではない。その人に合った多様な医療を提供する技量が要る。介護との連携も不可欠である。医師の再教育など人材育成が課題だ。
 患者は軽い症状でも高度医療を行う大病院を受診しがちだ。しかし、不必要な受診を控えるなど患者にも自覚が求められる。医師も患者も互いに顔の見える関係をつくる。どんな人生を送りたいか、それを実現する医療は何か話し合う。人生をともに歩む医療はそこから始まるはずだ。