【再発乳がんの新薬が誕生 手術不能患者の延命期待】
全く新しい抗がん剤が使えるようになった。再発乳がんの治療薬「ハラヴェン」で、エーザイ(東京)が20年かけて開発し、7月19日に発売した。手術不能の乳がん患者の生存期間を延ばす薬として注目されている。
故平田義正名古屋大教授はノーベル賞受賞者の下村脩さんら多くの俊秀を育てた有機化学者だった。その研究室にいた上村大輔神奈川大教授の発見から物語は始まった。
■化学の最高傑作
上村教授は1985年に、三浦半島沖で採取したクロイソカイメンから抗がん作用の強いハリコンドリンBを発見した。ただ、600キログラムのカイメンから分離できたのはわずか12・5ミリグラムだった。
平田教授門下の岸義人・米ハーバード大教授らは極めて複雑なハリコンドリンBの合成に成功、エーザイボストン研究所が成果を引き継ぎ、類似した化合物から理想的な抗がん作用を示すハラヴェンの創製に97年、成功した。ハラヴェンは不斉炭素を19個含み、合成工程が62にも上る。
内藤晴夫エーザイ社長は「日本の学と産の知を結集した有機合成化学の最高傑作。20年を超える粘り強い努力が実った」と語った。上村教授も「自然の美しい分子を、培養や発酵でなく、全部合成して抗がん剤にしたのはすごい」と評価する。
■生存2.7カ月延ばす
ハラヴェンは再発乳がん患者762人を対象に国際臨床試験(治験)が行われ、生存を平均2・7カ月延ばした。単剤投与で再発乳がん患者延命を示したのは初という。
日本でも80人で治験して、ほぼ同様の結果が得られた。昨年の米国を最初に、今年に入って欧州やシンガポールで順次承認され、発売された。
細胞は染色体の微小管が伸びて遺伝子を複製、盛んに分裂する。ハラヴェンはこの微小管の伸長のみを阻害する。従来の抗がん剤とは作用の仕組みが違うのも、期待されている理由の一つだ。
週1回通院して静脈内投与。2回続けて1週休み、3週のサイクルを繰り返す。治験に参加した愛知県がんセンター中央病院乳腺科の岩田広治部長は「1回の投与は2~5分で済み、患者の負担はごく少ない」とみる。
■副作用に注意を
治験では白血球を減らす副作用は大半の患者にあった。感覚神経の障害も約20%に見られた。
岩田部長は「骨髄抑制や発熱などに注意する必要があるが、通常は社会生活を送りながら、治療を受けることができる。ただ、急に普及すると、予期せぬ有害事象が出るかもしれない。使うのは薬物療法に経験の深い医師が望ましい」と話す。
エーザイは市販後全例調査に準じ、約500例の症例を集計して分析する方針だ。また、適応を肉腫や肺がんなど、ほかのがんへの拡大を目指して治験を進めている。
保険診療の薬価は日本独自の技術革新という側面も評価され、初めて40%という大幅な加算が認められた。1カ月の薬代だけで約40万円。健康保険が使え、自己負担はその3割以下になる。
対象患者は約3万人。岩田部長は「この新薬で乳がんと闘う武器がひとつ増えた。患者のニーズにより応えられる意義は大きい」と話している。
(熊本日日新聞 2011年9月8日朝刊掲載)