2011年9月11日日曜日

イレッサ副作用死

イレッサ副作用死:投薬訴訟控訴審 原告、被告争う姿勢 遺族「情報提供が不十分」
毎日新聞 2011年9月6日 東京夕刊

肺がん治療薬「イレッサ」の副作用による間質性肺炎で死亡したとして、3患者の遺族が輸入を承認した国と輸入販売元のアストラゼネカ(大阪市)に賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が6日、東京高裁であった。2患者について国とア社の賠償責任を認めた東京地裁判決(3月)を不服として控訴した原告、被告双方が改めて主張を展開。園尾隆司裁判長は「(1審で)主張・立証は尽くされ、あとはどう判断するかだ」と述べた。

1審判決はイレッサの有効性と有用性を認めつつ、02年7月の承認当時の初版添付文書の副作用に関する記載に不備を認め、ア社に製造物責任法上の責任があると判断。国については「行政指導を怠った」とし、国家賠償法上違法と結論づけた。一方で、同年10月の文書改訂後に投与を受けて死亡した女性の遺族の請求は退けた。

この日遺族側は「改訂後の内容も医療現場への情報提供としては不十分だった」と主張。国は「安全性確保の一次的責任は業者にあり、1審判決は企業責任を軽視している」としたうえで安全対策全体の違法性を否定。ア社とともに「初版文書の記載で、医師は間質性肺炎で死亡する可能性を認識できた」と訴えた。

◇「説明されていれば使わなかった」妻亡くした男性、無念のまま死去 長男、遺志継ぎ訴え
「がんで死ぬのは分かっている。でも、薬で死にたくはない。女房もつらかったと思う」。東京地裁判決前の今年3月上旬。妻がイレッサの投与後に急死し、遺族として原告団に加わった新潟市の男性は語気を強めた。末期の胃がんを抱えていた男性は1審敗訴後の7月、66歳で亡くなり、改めて早期の全面解決を求めたこの日の法廷に姿はなかった。両親の遺志を継ごうと、長男(38)が訴訟の継承手続きを進めている。

男性によると、妻が肺がんと診断されたのは02年7月。余命1年と宣告された。落胆する妻に「頑張ろう」と語りかけた。

当時、イレッサは承認されたばかり。主治医は「今は保険がきかず高額だが、肺がん治療薬の切り札だ」と言い、妻は使える日を心待ちにした。男性は副作用の危険性もただしたが、「化学療法より軽い」という主治医の言葉を信じた。

03年1月。妻への投与が始まったが、1週間後に容体が急変し、ベッドの上でもがき苦しんだ。間質性肺炎が発症し、会話もできないまま、ほどなく亡くなった。当時55歳だった。

だが、妻への投与は、記載内容の不備が問題となったイレッサの初版添付文書の改訂後。男性は敗訴の可能性を口にしつつ、「記載がどうあれ、主治医がちゃんと(副作用を)説明してくれていたら使わなかった。国や製薬会社が『新薬のリスク』などと主張するのは許し難い」と憤りを隠さなかった。

しかし、3月23日の地裁判決は事実上、男性だけが訴えを退けられた。男性は取材に「控訴して頑張る」と話したが、約4カ月後に息を引き取った。長男は「母がイレッサを服用したのは事実。地裁判決の『線引き』は納得できない」と話し、父母の無念を晴らすことを誓った。